商号 | : | 株式会社 三州社 |
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所在地 | : | 東京都港区芝大門一丁目1番21号 |
設立 | : | 1958年12月10日(創業:1956年2月1日) |
資本金 | : | 15,000,000円 |
事業内容 | : | オフセット印刷全般 デザイン 情報処理 |
天文19(1550)年に島津貴久が15代当主の地位を確立したころは,北薩には菱刈氏や渋谷氏が,大隅には肝付・伊地知・蒲生氏が,日向には伊東氏が勢力を張り,島津氏の勢力範囲は薩摩国の半分程度だった。貴久は子の義久や義弘を率いて本格的な三州統一に乗り出し,蒲生合戦や菱刈合戦,伊東氏と戦った木崎原の戦いで勝利を得,天正2(1574)年,最後まで抵抗した肝付氏を降服させ,同5年には伊東氏を日向から追って念願の三州統一を完成した。
(鹿児島県ホームページより)
そして、昭和31年以前に鹿児島県出身の人物が【三州社】を屋号として孔版印刷業をスタートしたと伝えられている。
昭和31年に故・小山寛爾が屋号と孔版印刷業を引継ぎ、東京都港区において【三州社】を創業し軽印刷業をスタートした。
昭和36年には株式会社に組織変更し、現在の港区芝大門の地で中央省庁、地方公共団体、外郭団体を中心として事業を継続している。今年で創業62年になる。
昭和31年 | 諸官庁および関連団体を主要得意先として、東京都港区において三州社を創業し軽印刷を営む。 |
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昭和33年 | 資本金500,000円で有限会社を設立し法人組織とする。 |
昭和36年 | 資本金3,000,000円とし、オフセット印刷部門を併設。 組版から製本仕上げまでの社内一貫工程を整備する。 |
昭和45年 | 資本金5,000,000円とし、株式会社に組織変更して、各部門を統合し集中管理体制をはかり総合印刷としての設備と機能を拡充強化する。 |
昭和50年 | 資本金15,000,000円に増資、社内体制の強化とともに、電算写真植字組版の出資会社を設立、組版の飛躍的能力アップ、またオフ輪印刷・多色印刷及び製本等の協力工場体制を完備する。 |
昭和51年 | オフィスコンピュータを導入し、事務部門及び生産部門の効率化を図る。 |
昭和56年 | 全自動印刷機2台導入、スピード化を図る。 |
昭和58年 | ワードプロセッサ(組版用)を導入。 |
昭和60年 | 情報化の急速な進歩に伴い、多様なデータ入力処理等印刷業務拡充のため、高速入力機、コンピュータ等周辺機器による新トータル組版システムを導入。また、印刷の効率化を図るため全自動両面印刷機及び最新鋭ダイレクト製版機を導入。 |
平成2年 | 最新の電子組版総合化システムを拡充整備し日本語情報処理業務を拡充。 |
平成9年 | デザイン部門を新設、マッキントッシュによる社内デザイン体制の確立。 |
平成10年 | 情報システム部門を新設。データベース、ネットワークなど情報処理分野への対応を強化。 |
平成15年 | オンデマンド印刷機導入で小ロット対応、スピード化を図る。 |
平成17年 | モノクロCTPにより、プリプレス工程の短縮、オフセット印刷における品質向上を図る。 |
平成21年 | カラーオンデマンド機を新規導入。小ロットカラー印刷に対応。 |
平成27年 | 無線綴じ機を新規導入。小ロット対応力の向上を図る。 |